地球温暖化を阻止しようと人類は、自分達の持つ科学力を用いました。そしてそれを実行できる化学薬品を散布。しかし人類の想定に反して、それはとても強烈な力を持っていました。
スノーピアサーあらすじ
温暖化に対して行った「冷やす」という行為によって、地球全体が氷河期の如く凍ってしまったのです。
地球上が極寒の地となってしまった以上、人類は極寒の地球から身を守る為、「スノーピアサー」に乗りました。
「スノーピアサー」は世界一周ができるほどの、巨大で壮大な線路網が整えられた列車で、人類はその中にいれば生き残る事ができました。
しかしこの列車に乗る人間は、前の車両は富裕層、後ろの車両は貧困層と、貧富の差が明確に車両ごとに区切られた世界を構築。
裕福な人間に支配された貧しい人達。彼らの怒りは爆発寸前!
スノーピアサー監督ポン・ジュノの他作品
知的障害の息子に殺人容疑がかけられ、無実を晴らそうとする母の物語。知的障害者の息子をウォンビンが演じた。第62回カンヌ国際映画祭ある視点で上映。
10人が殺された華城連続殺人事件を元にした「殺人の追憶」。主演は「親切なクムジャサン」などに出演しているソン・ガンホ。
両生類のような怪物が人間を食べるというパニック映画。
設定が突飛だが、人間の根本を描いている「スノーピアサー」
人類が地球を極寒の地へと変えられるほどの、科学力を持っているかは甚だ疑問。そのあたりはSFなので置いておくこととしましょう。
人類が、どのような共同体や体制といったものを構成しようと、その核心たる内実は全く変わりません。
「スノーピアサー」ではもはや「列車」そのものが「世界」となりました。しかしその中で生き抜く為には「秩序」や「管理」が必要です。
ですがその方法というのはこの「世界」でも同じ。
つまり強い者が弱い者を支配し、裕福な者が貧しい者を虐げます。その根本は、どのような状態でも変わらないことが「スノーピアサー」でよく伝わりました。
えげつない攻撃をする富裕層に諦めない主人公カーティス
主人公カーティスは、貧困層が押し込められた最後尾の車両に乗っています。
印象的なのは、黒くまずいプロテインブロックという唯一の食料の支給。これにはとても壁壁していました。
また様々な富裕層からの弾圧もあり、かつて管理者側に身をおいていた老人ギリアムの助言に従って、列車内の重要な水資源とエンジンの掌握を目指し、皆を鼓動して革命を起こしました。
しかし革命の道は遠い。
列車の秩序管理をするサイコパスなメイソン首相の兵士に仲間達は次々に殺されました。
カーティスは革命を起こす前に、すでに管理者達が銃の弾を使い果たしていることに気づいていました。
とはいえ、首相の兵士は時に列車の特性を活かした攻撃を加えてきます。列車がトンネルに入れば車内は真っ暗になります。
そうしたらカーティス達反乱兵は何も見えません。ですが、敵は堂々と暗視スコープを使って殺しにかかってきました。
しかも銃が使えないので、斧といった物理攻撃をしてくるので、殺され方も凄惨で大変苦しい戦いとなりました。それでも始めてしまった以上、カーティスは戦いを続けざるを得ませんでした。
「歪んでいる」スノーピアサーの現実
メイソン首相を人質にすることに成功したカーティス達。しばらくは彼女を道案内人として連れ回します。時に上品な寿司料理を振る舞う車両や植物を栽培したりする車両、食料になり得る動物の飼育場等様々な物を目にします。
ちなみにもっと先にはエステサロンやプール等の娯楽施設もあり、最後尾の車両とは雲泥の差が見られます。それらを見たカーティスらの思いは一層強くなり、列車のエンジンの掌握を目指します。
その途中、子供たちの教育をする(学校の)車両へと入り込みます。そこでは、列車の開発者ウィルフォード博士を称える洗脳がされており、貧しい人間の事など考えもしない教育が行われていました。
しかし、突如として妊婦の女教師がライフルを手にし、カーティスら一行に放ちました。これにはサイコパスなメイソンですらビックリですし、妊婦教師がライフルをぶっ放す等誰が思ったでしょう…。
カーティスの計画は「上の人達」に筒抜けだったのです。
「永遠」などありはしない、幻想を頂く「上の人達」
自給自足ができ、永久に走る事ができる(とされる)列車「スノーピアサー」ですが、現実は甘くはありません。部品も壊れますし、エネルギーは当然なくなります。
貧富の差が列車内に構築され、その秩序を維持しようとすれば、様々な物が消耗されていきます。最後尾の車掌の主人公カーティス達が決起する一因となった、「上の人達」が使う銃の球がなくなっている事もそれに該当します。
ちなみに、結果的に「スノーピアサー」の物語の後半、それは仕組まれた事である事がわかりましたが、現実的に限界も来ていました。
さらに「この中にいれば安心」と盲目的に信じる「上の人達」の行動は相当に醜悪な物でした。もっともらしく自分達の行いを正当化しようとする「上の人達」は所詮、快適な空間にいるので、劣悪な後方車両にいたカーティス達の事などわかりません。
どうあろうとも、双方は相容れない存在だったのです。